2011年8月18日木曜日

沢田さんと沢田研二の不思議なお話

「ザ・タイガースグループ」

 私が中学生になったころ(1967)グループサウンズが、流行しはじめた時でした。ザ・スパイダースやザ・タイガース、ブルーシャトウを歌うブルーコメッツなど・・私の名前の中に(トラ)という文字が含まれていましたから「タイガース、タイガース」とあだ名にされていたことを覚えています。ザ・タイガースのグループの中の沢田研二(ジュリー)とは言われませんでしたけど、私にとっては沢田研二という名前が印象深く残るようになりました。

 
沢田さんと出会う

 それから、私が20代を過ぎたころ、ちょっとした運命の出会いというのか、ある職場の中で沢田さんという二歳年上の女性に出会いました。沢田さんというその彼女は、職柄デザイナーをしたこともあって、見るからに顔の化粧は濃いし服装はかなり派手でした。聞いたところによると買い物するとなれば何万円もするような服を毎日買いあさる位の人物でありました。
 その彼女と私が一緒に仕事を開拓するために、各会社を営業に回っていました。そのうちに、少しずつ彼女のことを知るようになってから、その彼女が語り始めたことは、不思議な出来事についてでした。


沢田研二の夢

「 私は、以前沢田研二の夢を見たのよ!それも、沢田研二が目を真っ赤にして涙を流しながら喪服姿で夢の中であらわれるのを三日三晩見たのよ。」それで、彼女は余りにも気にかけたものですから、京都の左京区のある沢田研二の実家を訪ねに行ったそうです。

 玄関にある呼び出しホーンのボタンを押したら、呼び出しホーンから・・どなたですかと、お母さんらしい人の声が出てきたのですが、いつも研二のファンの方が来ていて、お断りしているんですけど、何か御用ようですか?と聞かれたので彼女は是非家の方とお会いしたいんです・・・と幾度も言いかけたので、その家の方は、あなたは何方ですかと聞かれて、はい!私は沢田と申します。と言ったら、同じ名前だったものですから、その家の方は少々驚いたそうです。
しかし、なお全然出てこられなくて、諦めてそのばで立ち去る事になったのです。 




沢田研二の母親の死

後ほど数日経ってから、また二度三度尋ねて行ったのですが、あいにく沢田研二の家の人と会うこうとが出来ませんでした。
もう尋ねるをやめてから一ヶ月ぐらい経ってからの事ですが、彼女は、ある週刊雑誌を買って見たところ、沢田研二のお母さんが、亡くなられている記事が書かれていました。
記事の中に亡くなられたお母さんの写真が載っていました。
彼女は、その写真を見てびっくりしたそうです。それは、以前亡くなられた、彼女のお姉さんと沢田研二のお母さんの顔がそっくりだったからです。
彼女は、仕事により上京してから、今は殆んど逢うことなく数十年経ています。どこにいるんだろうか、色々と話をしたかったのに。でも、こんどは別の沢田さんと知りあう事になりました。

  沢田さんは、自分のことをユリと呼んでいました。本名ではありませんでしたが、ユリの名前の方が何故か気に言っていたそうです。沢田さんと言う女性は男勝りで男と同じぐらい仕事もし、沢山の人脈を持ち、見るからにキャリアウーマン的な存在です。だから、私達のような男に対しても呼び捨てで呼ぶのです。このような女性であるためか、なかなか恋人の出来ない可愛いげのない女性でした。
 



(姉)マサ子の死

私とアウグスティヌスの霊


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