3.11の予言

地震に遭遇

2011年3月11日の午後2時半過ぎたところでした。私は、国道4号線を車で埼玉方面へ向かっていました。丁度、信号待ちに差しかかろうとしたとき、車が大きくぐらりぐらりと揺れて、何だこれはと思い、しばらく揺れていたので、周りを見渡すと500メートル離れたビルが、大きく揺れてビルが如何にも崩れて倒れしまうのではないかと思いました。
歩道には歩く人々は立ちすくんで歩くにも間々ならない状況でした。私は、一瞬これは、度々言われていた関東大震災ではないかと思いました。
しばらく経ってから揺れが治まり停車をしていた、周りのトラックや乗用車が動き始めました。しかし、果たしてこのまま目的地まで行けるのかが心配でした。携帯電話で仕事の相手先に連絡しても繋がりません。

多少時間が掛かりましたが、目的地に到着して仕事の用事をすまして、新潟へ向かいました。やがて日が暮れて、あたりが暗くなりはじめました。停電により信号機が点滅しなくなりましたから、ところどころパトカーを止めた警察官が交通誘導を行っていました。それで、群馬県に入ったところですっかり灯りが殆んどなく、いったいどの辺りの道なのか、行き先を間違えて後戻りしたり、とにかく新潟に向かって行きました。
翌日になってから、テレビニュースでは、地震によって東北の方では、大津波が来て町が壊滅状態で報道されていました。本当にこの状況は現実なのか、まるで何か夢を見ているような…映画のワンシーンなのかと思いました。

3.11の予言

私の家内の知人でアメリカに住んでいる沢田さんという方で、東北大地震災害が起きた後、一ヶ月経ってから連絡がありました。ある予言者といっていかは分かれませんが、日本列島に大地震が起きて大津波が起きると、その一週間ほど前に告げられたそうです。
アメリカ人の中には殺人者を見分ける超能力者や何人の予言者いるそうですが、予言と申しましたら、あのノストラダムスの大予言を連想されると思いますが、1999年の人類滅亡すると予言されたことに、本当に来るのかなと誰しもが半信半疑であったと思われます。




しかし1999年の7月の半ばになっても、人類滅亡するといった大きな問題になるような事が来ていません。大それたこと言うものだ、例え、そんな大地震が来るとは、予言して皆に告げても、いつ来るか分からないけど、いずれ何十年先の事だろうと言うに違いありません。
大地震を予言した人はどのような予言者か判りませんが、予言して数日経ってから直ぐに、東北地震が起こり、それから津波が来て町が破壊されてしまったのです。地震と津波による人数と合わせると、東日本大震災に起因する死者・行方不明者は2万人を越えることにより、悲しみの悲劇となったのです。
もしも、この予言を聞いた人が日本政府かあるいは報道機関でも伝えていれば被害がもっと少なくて済んだに違いないと思います。

福島原発事故の被害者の声

地震から数ヶ月経ってから、仕事により神奈川方面のある建設現場へ品物を納品する為に訪ねたところ、そこに警備員の人がいて「私は、福島原発の事故によって放射能の影響で、家も住めなくなり仕事も出来なくなって、ここへ働きに来てるんだ、東電のお陰で住むところも失い漁業の仕事をやっていたにそれも失った。東電の紹介で警備員の仕事と住むところ用意してくれたけど・・・だいたい東電含め日本の技術者は、何でも過信し過ぎてんだな、地震起きても絶対大丈夫だと言っているけど、絶対大丈夫なんかこの世には在る訳がない。」と言っていました。

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